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海賊の娘
<1>

 島の北側に広がる入り江に、午後の日差しを浴びて白く輝く帆船がゆっくりと近付いている。小高い丘の上の館からそれを認めると、もうじっと待ってなんかいられない。レイは館を飛び出すと、港に向かって駆け出していた。
「お嬢様!もうそんな子供みたいにはしたない!」
 たしなめる声が背中から追いかけてきてもレイの足を止めることは出来なかった。
「だって急がないとお父様とお兄様が港に着いてしまうのよ、ばあや!」
 レイは駆けながらわずかに振り向いて年老いた乳母に応えた。この島では珍しい蜂蜜色の髪を風になびかせ、眼前の海の色を写し取ったブルーの瞳は喜色に染まっている。膨らみ始めた小さな胸が破れそうに苦しくても、足を止めずに一気に丘を駆け下りた。

(お父様とお兄様が帰ってくる……!)
 この半年の間がどんなに寂しかったかは、今のレイを見れば推し量れる。遠目に見える港は人々でごった返していた。このアクロス島を治める領主が長い航海から戻る時は、いつもこうだ。帰りを歓迎する人々と、そしてたくさんの積荷を下ろしてしかるべきところに納めるために集まった人々がひしめき合っている。
 近付きつつある人ごみが、徐々に二つに割れるのが見て取れた。現われた1本の道に、レイが焦がれている2人が従者を従え、人々の歓迎を受けて歩いている姿が目に飛び込んできた。2人の背の高い男は、駆け寄ってくるレイに気付くと満面に笑みを湛えた。
「レイ!」
「お兄様!」
 レイは駆けて来た勢いのまま、差し出された兄の両腕の中に飛び込んだ。がっちりした体が一瞬強張った気がしたが、すぐにたくましい腕が抱き上げてくれた。
「ただいま、レイ」
 頬に受ける優しいキスと、待ち望んでいた抱擁をレイは思い切り享受した。嬉しくて言葉も発することが出来ない。喉仏の浮かぶ首元に鼻を押し付けて母犬に甘える子犬のように恋しくてたまらなかったと訴える。
「やれやれ、レイにはアレックスしか見えていないのかな?」
「お帰りなさい、お父様」
 レイはアレックスの腕の中からようやく父の存在に気付くと、笑顔を向けた。手を差し伸べるとひょいと抱き上げられる。
「ただいま、お転婆娘」
 キスとたっぷりと蓄えられた顎鬚の感触を伴った頬擦りは、何よりも父の存在が確かなものだとレイに教えてくれる。
「しばらくはどこへも行かない?」
「ああ。しばらくはここでレイのお守りにかかりっきりだ」
 からかう父にレイは頬を膨らませた。
「もう子供じゃないわ」
 一人娘の膨らんだ頬にもう一度愛情のこもったキスをしてから、幾分重くなった身体をそっと地面に下ろした。レイは言葉とは裏腹に、幼子のように父と兄と手を繋ぐと満面の笑みを湛えて家路に着いた。

 館で待ち構えていた乳母のケイトは、父と兄の帰還に幸せ一杯の表情を見せるレイを見て一瞬だけ微笑んだが、すぐさま渋い表情を取り繕った。領主と一人息子のアレックスに無事の帰還の挨拶をすると、手がかかっても可愛くてたまらない領主の一人娘に向き直る。
「お嬢様っ!髪もこんなにくしゃくしゃにして全くもう仕方のない人ですね」
 怒っている口調でも髪に触れる年老いた乳母の手はとても優しい。
「ごめんなさい、ばあや」
「日が沈んだらすぐに晩餐ですから、急いで準備なさってください」
「はーい。お父様、お兄様、後でね」
 これ以上大好きなばあやの機嫌を損ねないよう、レイは軽やかに階段を駆け上がる。愛娘の普段と変わらない様子をロバートは目を細めて見送った。
「外見は少し大人っぽくなったが、レイは相変わらずだな」
「お館様が甘やかせなさるから」
 ロバートは降参と言うように目玉をぐるりと回すと、アレックスに助けを求めたが、ここで父に同意すれば彼もまたケイトから同じお小言をもらう羽目になる。そのことを知っているアレックスは、素知らぬ顔を決め込んだ。
 ケイトには、この島の領主でさえ頭が上がらない。何しろ彼が子供の時分から仕えてくれているのだ。ロバートが言葉に詰まると、ケイトはくすくすと笑い出した。皺の刻まれた顔には、誠実さと率直さと人生を楽しむこの島の住民の気質が染み付き、ふくよかな身体は彼女の優しさを表しているかのようだ。笑みを収めると、ケイトは領主に向き直って幾分声を落として告げた。
「この程、お身のほうも大人におなりでございます」
「……そうか」
 口数の少ないアレックスは、父の後ろに静かに控えていた。彼が一瞬身体を強張らせたのを目の端で捕らえたが、ロバートは何も言わなかった。
「お二人ともさぞお疲れでしょう。お湯の用意がしてありますよ」
 
 濡れた髪をごしごしと乱暴に拭いながら、アレックスは、湧き上がる感情をも拭おうとむなしい努力を続けていた。
 航海に出ていたこの半年の間に、一体レイに何が起こったのか?
 港で抱き締めたレイからは、甘い香りがした。ほんの幼い頃は砂糖菓子のような甘い香りを纏っていたが、それとは少し違う胸がうずくような甘い香りと、いつの間にか柔らかさが増した身体は、24歳の健康な青年をひどく狼狽させた。
 
 レイが妹になったその日のことは、一生忘れられないだろう。今でも目を閉じれば鮮明に思い出す。
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