HOME>>NOVELS>>TOP>>BACK>>NEXT
海賊の娘
<3>
 
 あの瞬間から、レティシアはアレックスの愛しい存在となった。惜しみない愛情を注いだが、それは肉親に対する愛情だと疑わなかった。それが今、アレックスの中で根底から大きく揺らぎ始めている。
「お兄様?」
 嵐に翻弄される小船のように激しく揺れる感情に囚われていたアレックスを現実に戻したのは、彼の心をかき乱している本人の声。ノックして何度か声をかけたのだろう。声には心配そうな色が滲んでいる。
「先に行っててくれ、レイ」
 許可なくドアを開けるほど乳母の躾けは甘くなく、レイはしょんぼりと項垂れながらも、アレックスの言いつけに従った。

 領主の無事の帰国を祝う晩餐は、盛大に行われる。自由を愛する海賊の子孫達は、あまり階級と言うものに拘らず、留守を守っていた臣下達の他に、船乗り達も末席ではあるが同席する。これは他の領地でも考えられないことであった。
 テーブルには溢れんばかりの料理がこれでもかと並び、酒も同様にたっぷりと用意されている。人々は領主の無事の帰国という、いつも繰り返される喜事に飽きることなく心を浮き立たせ楽しむのだ。

 レイは、父や臣下達と話すアレックスの姿をずっと目の端に捉えていた。様子がいつもと違う。いつもなら時々目を合わせて微笑んでくれるのに、今日はちっともこちらを見てくれない。だからレイは、真っ直ぐにアレックスを見ることが出来なくなってしまった。
(どうして……?お兄様……)
 アレックスの愛情を疑ったことはない。幼い頃は、それこそ口癖のようにアレックスと結婚すると言っていたものだが、女の子は総じて成長が早いものでいつしかレイもそれを口にするのが気恥ずかしくなってしまった。だが口にこそ出さないけれど、気持ちは幼い頃と全く変わらない。むしろ口に出さずその胸に秘めた分だけ思いは強くなったような気さえする。だからいつもと違うアレックスの様子にレイは、言いようのない不安に囚われた。

「お嬢様はそろそろお休みになりませんと……」
 いつの間にか夜も更け、レイのような若い娘が同席するのは憚られる時間になっていた。乳母に促されてレイは静かに席を立つと父と兄に辞去の挨拶を言った。二人ともいつものようにレイの頬に優しい口付けを与える。それはいつもと同じなのに何かが違う。もどかしい思いにアレックスに切なげな一瞥を投げかけても、それに気付いてくれさえしないようで、レイはますます項垂れて自室へと戻った。

 アレックスは、レイが自室へと戻る頼りない後姿を視界の端でしっかりと捉えていた。切なげな瞳を向けられただけで、説明のつかないもやもやとした痛みとも疼きとも取れるものが頭を擡げる。
 だから敢えて見ないようにした。急速に変化する自分の心にひどく戸惑っていた。その変化を見極めようとすれば、もっと彼の心を重くする真実がうっすらと輪郭を現す。それを見極めてはならないと理性がしきりに警告する。
 
 秀麗な眉を顰めて物思いに囚われている愛息を、ロバートは興味深げに見守っていた。
「珍しくレイと喧嘩でもしたか?」
 周囲の者に聞こえないよう父に静かに問わると、アレックスは訝しげに父を見た。喧嘩などしたことがないことは、ロバートもよく知っている。何しろ喧嘩にならないのだ。アレックスはレイのこととなると、とことん甘いところがあるし、レイもまた彼を困らせるようなことは一度たりとなかったのだ、今日の今日までは……。
 しかしそれはレイがしようと思ってしたことではないのだから、罪はない。自分の心に囚われてレイの心を思いやる余裕が今夜のアレックスには全くなかった。
 父が敢えて尋ねたことで、アレックスはようやくそれに気付いた。
「いいえ、そんなことは……」
「そうか。えらく萎れていたゆえ気になってな」
 ロバートは優しい笑みを浮かべるとアレックスの背中をぽんぽん、と労うように2度たたいた。
「お前も疲れているようだから、もう休むといい」
 そう言ってアレックスを下がらせた。

 どさりと長身を寝台に投げ出したアレックスは、目を閉じると重い溜息を吐いた。レイを傷付けてしまっただろうか?様子を見に行くことも出来た。実際、隣にあるレイの部屋の扉の前まで行ってはみたのだ。ノックしようとまでした。そのたびに握り締められた拳は迷うように下ろされ、結局扉を叩くことはなかった。
 どうすれば良いというのだろう?レイに詫びれば良かったのだろうか?だが理由を問われれば、その応えは彼自身分からないのだ。いや、理由を知ることを彼の理性が拒否させているのだ。思考は、ぐるぐると回り道をしたり迷ったりしながら、結局最後には元の場所へと戻ってしまう。ひどく疲れを覚えたアレックスは、とうとう眠りの世界に逃げ込んだ。
 僅かな物音を聞いた気がして、浅い眠りからアレックスは目覚めた。うつろな瞳で部屋の中をぐるりと見渡す。自室の中は、別段変わりはない。では部屋の外だろうか?耳を澄ませても子守唄のような潮騒の優しいささやきしか聞こえない。どのくらい眠っていたかは分からないが、宴もとうに終わったようだ。しかしどうにも引っ掛かりを覚えて寝台からそっと起き上がると、自室の扉を音も立てずに開けた。

 アレックスの部屋の扉の前、暗い廊下の片隅で膝を抱えて壁に寄りかかるようにしてレイが眠っている。いつからそこでそうしていたのだろう。頬には明らかに泣いたと思われる涙の跡が残っている。そこにそっと触れるとひどく冷たかった。白い夜着しか身につけていないレイの身体がびくりと震える。
「レイ」
 髪よりも濃い金色の長い睫毛は、未だしっとりと濡れていた。アレックスの呼ぶ声に、重たげなそれが震えながらゆっくりと持ち上がる。
「お兄様……」
 レイは、アレックスの首筋に躊躇いがちに細い腕を絡ませる。アレックスは、またあの説明のつかない、複雑な感情の交じり合ったものが、もやもやと立ち込めてくるのを感じた。レイの、その幼げな仕草にそれらを無理やり押し込めると、頼りない背中をあやした。
「いつからここに……?風邪でもひいたらどうするの?」
 出来るだけ普段通りの優しい声が出ていることを願った。レイは何も応えず、アレックスの首元に顔を埋めてしまう。とにかくこのままでは本当に風邪をひいてしまう。レイの背中と膝の裏を掬って抱き上げる。
「いや……」
 すぐ隣り合うレイの部屋の扉を開けようとすると、くぐもった弱々しい拒絶の声があがる。
「今夜はお兄様と一緒に眠っても良いでしょう……?」
 アレックスの首元に埋めていた顔をレイは恐る恐る上げた。もう大きくなったのだから、と言おうとしてアレックスが自分の胸元へと目を向けると、夜の闇に黒く染められた不安に揺れる瞳とぶつかった。
 やはりレイを傷付けてしまった……。その罪悪感がアレックスの口を噤ませた。
「今夜だけだよ」
 そう応えると、アレックスの腕の中で緊張に震えている体から少し力が抜けるのが分かる。幼い頃は、それこそ毎夜のようにアレックスのベッドへ潜り込んでいたレイだったが、さすがに10歳をすぎると乳母がそれを禁じたのだった。

 レイは、アレックスと供に寝台に横たわっても、以前のように子猫みたいな無邪気さで擦り寄って来なかった。それがまた、アレックスにレイが大人になりつつあることを意識させる。天蓋のない広い寝台に微妙な距離を開けて二人で横たわりながら、アレックスはしばらく天上をにらみつけていたが、そっとレイの方へと向いた。
 レイは、こちらの方に小さな身体を向けてはいたが、俯いている。レイ、と呼びかけようとするとふいにレイが顔を上げた。
「お兄様、恋人が出来たの……?」
 苦しげに寄せられた眉根と不安に揺れる瞳は、今にも泣き出しそうだった。喉がひりひりと痛む。様子がいつもと違うアレックスの態度に、それらしい理由を探した。小さな胸を散々痛ませて、ようやく出た答えがそれだった。アレックスの答えを何一つ見逃すまいと、涙がこぼれそうな瞳を見開いて、レイは身を固くして待った。

 アレックスは、一瞬虚を衝かれた。
「いいや。どうして?」
 僅かに目を細めて、子供っぽくともやはり大人へとなりつつあるレイをアレックスもじっと見つめた。
「だって……。今日のお兄様はいつもと違うもの……」
「ごめん、レイ。長旅で少し疲れていただけだよ」
「本当……?」
「ああ、本当だ。それに誰かさんと昔結婚する約束をしたから、俺には恋人はいらない」
 少し冗談めかして頭を撫でてやると、レイはようやく安心したように微笑んだ。その微笑がアレックスの胸を狂おしいまでに愛しさで満たす。
「おいで」
 腕を伸ばして微妙な距離を取り去った。柔らかさの増した小さな身体をすっぽりと抱き締める。
「約束よ、お兄様。レイをお嫁さんにしてね……」
「おやすみ、レイ」
 まろやかな頬に口付けると、レイは柔らかい笑みを湛えて幼い頃の約束を久し振りに囁いてから眠りの世界へと旅立っていった。

 アレックスは、自分の腕に広がるレイの真っ直ぐな髪をぼんやりと眺めている。腕の中で無邪気に眠るレイからはやはり甘い香りがする。アレックスの固い体に押し付けられているレイの柔らかな身体は、彼の健康な肉体からはっきりとした反応を引き出していた。無意識に熱が集まる中心がレイに触れないように抱き寄せていた。
 彼はようやく目をそらしていた現実を受け入れた。レイはもはや単なる義妹ではない。一人の女として見ているのだ。そして欲情している。
 大人への階段を上り始めたばかりのレイに、それを気取られてはならない。もし知られたならば、小鳥が飛び立つようにレイはアレックスから離れていってしまうだろう。幸い、二人の関係が微妙に変化したのに気付いたのは、恐らく父だけだろうと思う。しかも当のレイは、まだそれが何なのかも分かっていない。

(今夜は長い夜になりそうだな……)
 腕の中のレイを覗き込んで、柔らかな頬をちょっと恨めしげにつつく。すると、柔らかな唇の端がほんの少し持ち上がって微笑みを象った。
(早く、大人におなり)
 アレックスの、レイに対する思いを受け止められるほどに。
 
 甘い香りの髪に頬を埋めて、アレックスは目を閉じた。
HOME>>NOVELS>>TOP>>BACK>>NEXT
この作品を読んで下さった皆様へ
続きが気になる方は、どうぞクリックしてやって下さい。
単純な人間なので読んだ方が反応を下さると大喜びしますvv
どうぞよろしくお願いしまーす。
                                    橘瞳子@管理人
ちょこっと笑えることがあるかもしれません。
一言メッセージを頂くと大喜びしますvv
NEWVEL様の投票ランキングに参加しています。
1ヶ月に1回、クリックしてやって下さい。
感想はこちらから↓
感想・雑談などなど、書き込んで頂くとやる気度が
大幅にアップしますvv
後書きとか日々のつぶやきなどを
つれづれに綴ってます。
誤字脱字・リンク切れなどご指摘下さると助かります。
(お名前とコメントのみで送信出来るようにしました)


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送