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月 光
第1章 1.東の月
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「陛下、いい加減に妃をお迎え下さい」
 帝国の宰相であるウィリアム=ドレイク公は、もう何度訴えたか分からない言葉を、懲りることなくその日も口にした。
「まもなく30歳になろうというのに後宮に一人の側室もいないなど、前代未聞のことなのはご存知でしょう?」

 カイは豪奢な執務室の、革張りの座り心地の良い自分の椅子に座り、膨大な未決済の文書が詰まれる大きな執務机に肩肘をついて頬を預けるとそっと溜息を吐いた。ドレイクの訴えは延々と続いている。それを聞くともなしに聞きながら、次第に物思いに囚われる。
 いつかずっと傍にいて欲しいと思う女性(ひと)が現れるのだろうか。他人を信じることが出来ない、この冷たい自分に……。

 ドレイクもまた、心の内で溜息を吐きながら己の仕える若き皇帝を見つめる。太陽神の化身と言わしめる美しい男だ。先帝が王妃と共に不慮の事故で身罷ってから帝国に一身を捧げ、民からも賢帝として慕われている。もちろんその恵まれた容姿も大いに貢献しているのだろう。

 太陽神の化身―――。
 その象徴とも言うべき陽のきらめきを放つ黄金の髪と瞳は、アルカディア皇家の証だった。しかし長い歴史にあって彼のそれは稀に見るほど鮮麗だったのだ。
 獅子の鬣のような見事な、背中まで流れる癖のないその髪は、今は項からゆるく編まれ深紅のリボンで一つに結われていた。
 もう一つの証である神秘的な金の瞳は、くっきりとした二重で涼やかでそして鋭さを秘め、瞳と同じ色の長い睫毛に縁取られていた。もっとも今は、どこか遠くを見つめているようだが。自分の話に耳を貸す振りはしているが、まるで聞いていないことは長年仕えるドレイクには手に取るように分かっている。
 すっきりと秀でた額は細く高い鼻梁へと続き、その下には薄い唇を擁した品の良い口元。長身でしなやかな肉体は鍛え抜かれた筋肉に覆われているが、すらりとしている。
 何よりも帝国の至上の地位にあるこの美しい男の妻になりたいという女は、国内外を問わず掃いて捨てるほどいるのだ。

 カイも自分の魅力を充分に知っている。
 来る者は拒まず数多の女と身体を重ねはするが、その身体だけの関係でさえ長続きしたためしがなかった。その心は氷のように冷たく、常に閉ざされている。
 自分は冷たい人間なのだろう、とカイは思う。
 言い寄りしな垂れかかってくる女に飽きると、簡単に別れを切り出せる。泣いて縋られても哀れとは思うが、ただ鬱陶しいだけだ。ずっと傍にいて欲しいと思える女など、一人もいなかった。ただの一人も―――。
 どの女もカイ自身を通り越して、その外見や地位に心惹かれているのが透けて見えるのだ。 誰も彼自身の持つ本質には辿り着かない。欲望を処理するためだけならばさほど気にならなくなっていた。しかし、どの女もすぐに後宮に入りたがるのだ。欲望の処理以外のものを求められても嫌気がさすだけだというのに
 そんな女がずっと傍にいるかと思うと激しい嫌悪感すら覚えた。

 どの女もけして彼自身の心に触れられはしなかった。

 それが嫌で、性欲を覚えた時にはもっぱら高級娼館にお忍びで行くことにしている。もっとも、性欲の盛んな時期はとうに通り越してしまったのでごくごく稀にだったが。

 なんとも虚しく寂しい人生だと思う。

 この広い帝国内で心を許し信じられる人間はほんの数人。父の代から宰相を勤めるドレイクと近衛の側近と幼馴染と従兄弟。そして幼い頃から使えてくれている女官と……。
 たったそれだけである。しかも心を許しているとは言え、彼が心の内を彼らに示すことはほとんどなきに等しいことなのだ

 自分は一体いつからこんな冷めた人間になってしまったのだろう。
 両親が不慮の死を遂げた時か?それとも母が後宮の女の争いに涙を流していた時からだろうか?いくら考えても思い出せそうに無かった。

 ドレイクの盛大な溜息を吐いた気配に、深く物思いに囚われていた意識が現実に引き戻される。
「分かった、分かった。そのうちに考えておくよ」
 苦笑しながらなんとも気の無い返事を返して誤魔化した。いつものドレイクならばここで退くのに、今日は引き下がる気がないようだ。

「帝国内の令嬢方がお気に召さないのであれば、他国からでもよろしいのです。例えば東大陸の青龍国の姫君などいかがですか?大層美しい姫君と聞こえておりますし、御年も18歳と陛下のお相手にはちょうどよろしいですな」

 ドレイクは何気なく一番間近にあった青龍国の国王からの招待の書簡を手に取った。諸外国も強大な力を持つ帝国と繋がりは持ちたい。その手段は当然婚姻である。娘を皇帝に引き合わせようと、てぐすねを引く多くの国々からの招待が届いていた。

 皇帝の苦悩を少なからず知っているが、自分が諦めてしまったら皇家の血筋が途絶えてしまう。それに近頃の皇帝にはどことなく疲れの色が見え隠れしていた。帝国の外に出れば気晴らしになるかもしれない、と考えた怜悧な宰相は腰の重い主の尻を叩いてやることにした。

「政情も安定しておりますし、たまには東洋の国に行かれるのも良いのでは?」

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