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月 光
第2章 2.予感
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 翡翠はフランシスとすぐに打ち解けた。そこへいつの間にかドレイクも加わり、カイは今夜ばかりは翡翠を独り占めするのを諦める。あの二人がそばにいれば、他の者を翡翠に近づけまい。それにカイ自身も、近隣諸国の賓客に囲まれてしまっている。視界の端で翡翠の様子を気にしながらも、カイは皇帝として賓客をもてなす為に玉座から立ち上がった。

 自分の周囲に群がる人々に順番に声を掛けていたカイは、強い視線を感じてちらりと目を向ける。フレデリック・シュタインが微笑みながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「皇帝陛下のご結婚のお祝いをささやかながらご用意してございます。我が国最高の職人を連れて参りましたゆえ、妃殿下にお衣装を仕立てさせましょう。明日にでも妃殿下のもとを訪れるご許可を頂きたく……」
 そう言うと、フレデリックは軽く膝を折り礼をした。
「貴公の厚意には感謝の言葉もないが、残念ながら我が妃が袖を通すものは、私が選ぶことにしているのだ。その気持ちだけをありがたく頂いておこう」
 北大陸では、レースや刺繍といった、家の中で出来る手仕事が雪と氷に閉ざされる長い冬場の貴重な収入源となっている。そして、それらは長い時間をかけて芸術の域に達し、中には値が付けられないほど高価なものもあり、王族や大貴族でもなければとても身につけらるものではなかった。
 
 しかし、この男がただの厚意でご丁寧に職人まで連れてくるとは思えない。その目的が自分にならまだしも、翡翠に向けられているのをカイは警戒した。
 男は特に気を悪くした様子も見せず、相変わらず感情のない微笑をはいている。
「シュタイン殿、それではその職人とやらを私の娘の為にお貸し頂いてもよろしいかな?もちろんその分の賃金ははずみますぞ。何しろ北のものは貴重ですからな」
 皇帝とフレデリックのやり取りを傍で聞いていたギエム公爵が横やりを入れる。
「それはもちろん構いませんが……」
 フレデリックが視線を向けたので、カイはわずかに頷いてやった。
「分かりました。それでは後日、伺いましょう」
 そう言って北と西の腹黒い男達は商談の為に皇帝の元を離れて行った。
 
 夜もかなり深まっている。ようやく皇帝の務めから解放されたカイが翡翠の元へ戻ると、その手には半分ほど開けられた杯が握られ、瞳は半ば閉じかけていた。
「おいで」
 カイが翡翠の手から杯を取り上げて腕を差し伸べると、柔らかな肢体が甘える子猫のように擦り寄ってくる。カイの鼓動がわずかに早まった。
「翡翠、酔ってしまったのか?」
 喉元をくすぐると、くすくすと笑いながらカイの手から逃れようと、翡翠はますますカイに擦り寄ってくる。カイは翡翠を抱き上げると、不機嫌に眉間に皺を寄せフランシスとドレイクを見やる。皇帝の扱い方をよく心得ている二人はわざとらしく丁寧に謝罪した。
「申し訳ありません、陛下。妃殿下にどうしても飲んで頂こうと持ち帰ったワインがあったものですから……」
 相手がちゃんと謝罪すればカイは許さざるをえなくなる。それを子供の頃から知っているフランシスは、跪き胸に右手を当てて深々と頭を垂れる。
「―――もうよい。以降は気をつけてやってくれ」
「翡翠様はすっかりお酔いになったようですから、そろそろお部屋へお戻りになった方がよろしいですね」
 ドレイクはそう言うとさっさと皇帝夫妻の退室を告げる。釈然としないものを抱えながらもそれはカイにとっても願ってもいないことだった。

「気分は?」
 いつの間にか寝台の上にいた。翡翠はどうやってここまで戻ったのか見当も付かなかった。フランシスとドレイクと話していた。それからフランシスに、北のおいしいワインがあるからと飲ませてもらったところまでは覚えているのだが、その後は全く記憶がない。
 カイの手が頬に当てられている。いつもは温かく感じるカイの手が今夜はひんやりとしていて気持ちが良い。気分は悪くないけれど、なんだか体が燃えるように熱い。それに身体がふわふわとまるで浮き上がるような気がする。ひどく眠くて指一本動かせそうにない。それでもカイが心配しているから問いに答えなくては、と重い瞼を何とか持ち上げる。 
「暑いの……」
「やれやれ、困ったお姫様だ」
 酒精で桜色に染まった目元と潤んだ瞳からカイは無理やり視線を引き剥がすと、翡翠の髪を解きドレスを脱がせた。
「今夜はこのままお休み」
 カイの触れるだけの口付けを受け、体を締め付けていたドレスから開放されると、今度は暑いのになんだか寒いような、寂しいような気がして翡翠はカイの温もりを求めて擦り寄った。
「翡翠……」
 ずっと、あの遺跡での口付け以来ずっと、カイは触れるだけの口付けしかしないようにしていた。ともすれば箍が外れそうになるというのに、深く結びつく口付けなどすれば自分がどうなるか分からない。気が遠くなるほど狂おしい思いを禁じているというのに、今夜の翡翠は自ら身を差し出すように無防備だ。カイは、たまらず柔らかな唇を貪った。歯列を舌で割り、翡翠の舌を絡め取ると狂おしい思いのまま強く吸った。
「ん……」
(このまま抱いてしまおうか―――)
 鼻にかかる少し苦しげな甘い吐息に煽られるように、愛しい人の口中をくまなく味わう。混じり合った唾液を翡翠へと送り込むと、こくり、と白い喉が動いて飲み下す。カイは唇を翡翠の顎から喉へと滑らせると、胸元を覆う薄衣を開き、処女雪のごとく白い乳房のふくらみに所有の刻印を刻む。

「……カイ……?」
 慣れない酒のせいで酔っている翡翠は、自分が何をされているのか全く気付いた様子はない。そして、いつもそっと抱き締めてくれるカイの温もりを求めてその名を呼ぶと、夢見るように微笑んだ。
「ひどい人だ、あなたは……」
 カイはその安心しきった微笑を目にすると、動けなくなってしまう。自分の心の奥深く、誰にも触れられたことのないところまで容易に入り込んでしまった愛しい人。
 もしもこのまま自分の欲望をぶつけてしまえば、今度こそ翡翠を失ってしまうだろう。ようやく自分を信頼し、その心がカイに向かい始めていると思えるようになってきたというのに。それだって確信があるわけではないのだ。
 ただ、もう翡翠に怯えた目で自分を見て欲しくはない。涙など見たくはない。そして、その信頼を失いたくはない―――。
 確かに翡翠を欲している。けれども、翡翠の心を失ってしまう方がカイは怖かった。 ぎゅっと拳を握り奥歯を噛み締めて欲望をやり過ごすと、カイは乱した翡翠の胸元の着衣を直して、そっと抱き締めた。

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