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月 光
第1章 3.皇帝の恋
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 カイはこれからすべきことの為に、昨夜は夢心地で歩いた道程を足早に戻った。貴賓客が滞在すための豪奢な宮の前へ着くと、側近のニコラスがいらいらとした様子で立っていた。

「陛下っ、一晩中どこに行ってたんですかー!!」
 一晩中、帰らぬ主を心配して起きていたのだろう。子供の頃から共に学んだ貴族出身の、3歳年下の近衛隊長は感情を隠さない。
「ま、まさか、他国の宮仕えの侍女に手を出したなんて言うんじゃないでしょうね?」
 主の無事の姿を確認したニコラスは、すぐに気を取り直し女癖の悪い彼に疑り深い顔になる。
「どうだったかな?」
 カイは空とぼけてから、忠実な側近であり友人でもある彼ににこりと笑った。
ニコラスはその微笑に呆気にとられ、ぽかんと口を開けて固まった。
「陛下?よほど良いことでもあったんですか?」
「なぜ?」
「―――いえ、何となく……」
 どこか冷めた目をしている自分の主の蕩けるような笑み。それはニコラスが初めて見る類の笑みだった。冷たいと思えることもあるが決してそうではない。皇帝として国を治めるには厳しく非情な面も持ち合わせていなければやっていられないのだ。
 敵はなにも他国ばかりではない。最も厄介な敵となるのは同胞である宮廷の貴族達なのだ。彼はそれを冷たい笑みの下で、難なくあしらう事が出来るのだ。
 本当は心優しい主が非情な決断をするときに苦しんでいるのを知っている。傷ついているのを知っている。皇帝とは孤独なのだ、と長年共にすごせば痛いほど分かる。そんな彼になんとか安らげる場所を作ってやりたい、とニコラスはいつも思っていた。
 その主はニコラスの思いを知ってか知らずか、いつものように多くは語らずに、さっさと湯を浴びに行ってしまった。

 朝食を取りながら、カイは何気なくニコラスに告げた。極々自然に告げられた事柄は、ニコラスをまたしても驚嘆させる。
「帰国の準備をしておくように。今日の午後には立つぞ」
「ええっ?!帰国は三日後の予定では?」
「気が変わった。少しでも早く帰国したいんだ」
「一体どうしたんですか?」
「今から国王に会いたい。先触れを頼めるか?」
 そう言ったきり黙り込んでしまう。ニコラスは訳が分からぬものの、とりあえず命に従い、他の従者に帰国の準備を促してから青龍国王に先触れを出した。

 面談は当然すぐに許され、カイはニコラスを伴って国王を訪なったのだった。

 私的な面会ということにした為、国王の私室に彼と、彼の長子である皇太子の二人だけが待っていた。国王は相変わらず人の良い笑みを浮かべている。皇太子はカイと同じくらいの背格好で、カイよりも幾分若さが窺える。整った容姿に冷静な黒い瞳。翡翠とは腹違いなのだろうか、兄妹だが全く似ているところはなかった。

 翡翠が昨夜、助けを求めた兄とは彼のことなのだろうか?カイは胸の内にどす黒いもやが立ち上るのを感じた。
「皇帝陛下、折り入ってのお話とはいかがしました?」
 国王は優しげな容貌のとおり、細やかな心遣いが出来るようだ。娘が気に入ったかどうかはっきりと聞きたいだろうに。
「ええ。実は今日の午後にも帰国させて頂こうと思いまして」
「―――それはまた急ですな。何か失礼でもありましたか?」
 皇帝は、随分と年上の国王を安心させるためににっこりと微笑んだ。
「一日でも早く我が妃を迎えたいのです」
 国王と皇太子の顔に困惑の色が浮かぶが、それは一瞬の後、喜色に変わる。
「おお、それでは玲英をお気に召して頂けたのですな」
 皇帝は尚も微笑んで告げる。
「国王陛下もお人が悪い。あのように美しい姫を隠しておられたとは」

 居室の入り口近くで静かに顔を伏せ控えていたニコラスは、驚いて顔を上げた。なぜならば、玲英という姫にカイが心を動かされた様子は全くなかったからだ。そして主の言葉は、別の姫を見初めたということを示している。
 いやな予感に、ニコラスの背中を嫌な汗がひやり、と伝う。
(まさかとは思うけれど……。その姫を手篭めにしたなんて言うんじゃないでしょうね、陛下)
 ニコラスに背を向けて長椅子に座るカイの表情を見ることは出来ない。忠実な家臣でもあるニコラスは、まさかという思いに胸中で問い掛けた。

 国王と皇太子の顔色が、瞬く間に失われる。
「一体なんのことでしょう?」
「翡翠王女のことです。あの姫を我が妃に頂きたい」
 翡翠の名まで知っている。まさか姿を見られたのだろうか?そんなはずはない。そんなことはあってはならないのだ―――。最も奥深くの離宮に隠してきたのだから。

 だがそんなことはどうでも良い。なんとしても翡翠は渡せない。国王は傍らの皇太子と一瞬顔を見合わせ、顔から笑みを消し去った。
「あれはまだ子供でとても陛下の妃は務まりませぬ。どうかお忘れ下さい」
「姫はおいくつになられたのです?」
「15になったばかりです。それに生まれつき目も見えませぬゆえ」
「15ならば結婚には問題のない年齢でしょう?目の見えぬ姫に不自由を強いるような真似は決して致しません。ご安心下さい」
 黄金の獅子のようなこの美しい皇帝は、一体何を考えているのか。だがここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「それに体も弱く、御子は産めぬやもしれません」
「アルカディアの一族の男に子種が無いという有名な噂を、国王陛下もご存知かと思いますが……。恥ずかしながら私もそのようなのです。ですから姫に無理な出産を強いることもありませんし、後継は優秀な従兄弟がおりますゆえなんの心配もありません」
 子が出来ない。王族にあって己の血筋を残せないことほどの屈辱はない。それすらを逆手に取ってまでも、翡翠を望む……。
 国王は絶望に襲われる。
「どうか、どうか皇帝陛下。翡翠だけはお許しくだされ」
 それでも翡翠を渡すわけにはいかないのだ。

 カイは翡翠同様に拒否を続ける国王の顔を、黄金の瞳で凝視した。やはり親子ということだろうか。強情というか頑固というか。翡翠ならば可愛くも思えるのだが……。
 仕方がない。どうせばれることなのだから自分から告白してしまおう。そう、取って置きの、逃れようのない切り札として……。
「国王陛下、まことに申し訳ありません。翡翠のあまりの可愛さに結婚まで待つことなど出来ず―――、今朝まで共に過ごしました」
 国王は青ざめ、がたんっと派手な音を立てて椅子から立ち上がった。握り締めた拳がブルブル震えている。
「このことは幾重にもお詫び申し上げます。婚姻の条件は貴国のお望みの条件を何なりとどうぞ」
 蒼白となった国王はそのまま部屋を飛び出していってしまった。ニコラスもまた、自分の嫌な予感が的中してしまい蒼白となる。それでも翡翠という姫が妃になってくれたら、と思ったのだ。何しろこんなカイを彼は今まで見たことが無かった。何もかも器用に、そして人並み以上の才能を発揮する代わりに、全てに情熱を持てず冷めた目をしている孤独な皇帝。それは唯一の彼の欠点とも言える。それなのに、今の彼は別人のようだった。何かが彼を変えたのだ。
 そして、それはきっと―――。

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